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開封の町は、実に美しい。
北宋の首都として栄えた時代の遺構が、そのままの形で残されている。 湖と建築物が融合し、浙江の西湖を彷彿とさせる。
鉄塔を訪れた。美しい宋代の建築様式が際立っている。文字通り鉄でできた塔だ。
そして第二次大戦中、日本軍が進攻してきた際、砲弾を跳ね返したといわれるすごい伝説が残っている。
12世紀の建造物が大砲の砲弾を跳ね返し、昔と変わらぬ姿で立っている。恐らく当時としては大変な量の鉄、人力、資金を投下したものだろう。これを築いた人々は歴史の舞台から消え去り、そして造ったものだけが残った。
しかし、永遠の信仰・美を願った人々の気持ちは、確かに伝わってくる。
開封・鉄塔〜日本軍の砲弾を跳ね返したと言われる
開封の夜は賑やかだ。
今でも宋という国家が存在し、開封が首都であるかのように、大通りに屋台が並び昔ながらの麺や饅頭を作っている。開封の小龍包子は大きく、スープが一杯入っていてうまい。あたかも、宋の都の夜を楽しんでいるかのような錯覚に陥る。
元々、宋という国の文化の優美さは、歴代王朝の中でも際立っていた。 陶磁器でも、私は宋代のデザインが好きだ。 ただ、優雅な文化を楽しんだ王侯貴族たちは、国家の安全保障を真剣に考えず、北の草原からの進入者の前にあっけなく滅んだ。
文明の繁栄を享受し、平和な世界を生きるというのは理想だ。しかし、享楽主義に浸って、文明の存続基盤である防衛を怠ると、自身の繁栄はいつか崩壊する。幸せな人々がいれば、必ず不幸な人々が存在する。競争原理とはそういうものだ。そして、不幸な人々はどうすれば幸せな人々から幸せを奪取できるか、競り勝てるかを考えているものだ。
繁栄を謳歌する人々は、努力を怠りがちになる。そして、権力を握った人々はまた、努力を怠りがちになる。
ここには絶頂を極めた後、突然に自分たちの浅はかさを思い知らされ、なす術もなく奈落の底へと突き落とされていった人々の遺構が静かに残っている。
開封には宋代の遺構が散在し独特の趣がある
車の前方に、突然川が見えた。
川べりは広いが、水量は多くない。これが初めて目にする黄河だった。 黄河文明を育み、3000年の時を経て、未だ流れを絶やさぬ川。
中国史上、多くの人々の命を飲み込み、「黄河を制する者、世を制す」とまで言わしめた大河。 しかし、私が初めて目にしたその川は、既に病んでいた。
長い歴史の間に人口は増え、沿岸の森林資源は枯渇し、砂漠化した土地から土石が流出し続けた。
いつしか、世界に名高い大河の下流には土石が堆積し、水量は減少した。夏には水量が減り、内陸河川となった。 私が目にしたものは、老い、病み、死に行く大河の姿だった。
新疆ウイグル自治区で、ムザト河という河を見たことがある。
タクラマカン砂漠に流れるその河は、内陸河川だった。海まで流れ込む元気はなかった。
今、目にするこの河も、海まで流れ込む元気はないように見えた。河南の下流には、目ぼしい山地や湖もなく、水源がない。
かつて、アジアの文明はここから始まった。
3000年間、人類の生活を支えてきたこの河は今、老衰の道を辿りつつある。
中国では、政府を挙げて揚子江の水を黄河へ流し込む大プロジェクトに取り組もうとしている。黄河は、このカンフル剤で再生するかどうか。
人類は、この大地の栄養分を吸収し、生き長らえてきた。 今度は、大地へ栄養分を戻さなければならない。
エジプト文明もメソポタミア文明も、結局大地への恩返しはできずに終わった。砂漠だけが後に残った。川は細々と残った。
黄河文明はどうなるのか。
周囲の急激な砂漠化を止められるのか。そして黄河を守ることができるのか。これからも目が離せない。
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