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2001年3月、私は縁あって北京から香港へ赴任した。1994年、日本を出て既に7年の歳月が流れていた。

香港という町は、私にとって思い出の地だった。
1991年、新婚早々上海へ語学留学した私は日本へ帰ることを許されず、妻と離れ離れになった。唯一許されたのが、妻の中国への旅行だった。私たちは上海で1度、北京で1度、そして香港で2度会うことができた。学生時代から付き合い続けた私たちにとって、離れ離れの生活、しかも結婚してすぐに、1年もの間離れたのは初めての経験だった。当時、駆け出しの銀行員で金のなかった私は、語学の勉強の合間を縫って、中国国内旅行に出かけた。

中国・香港から出ることも許されていなかった。 私は、広東の広州から列車に乗り、国境を越え香港へ行った。
深センの国境を境に景色がガラリと変わり、終点からチムシャーツイに出てビクトリア・ハーバーを眺めた時の感動は、言葉では言い表せない。素晴らしい景色だった。
香港が、中国大陸の端の、黄金の都に見えたものだった。スターフェリー乗り場の横で、しばし立ち尽くしたのを覚えている。

のなかった私は、重慶大廈(チョンキン・マンション)のインド人の経営する安宿に泊まり、妻との待ち合わせの日を待った。 そして、待ち続けたその日の夜遅く、カイタック空港の金網の外に座り、妻の到着を一人待った。
成田からカイタックへのフライトはDelayで、夜12時近くなったと思う。人通りもなくなり、時折通るタクシー以外は車もまばらだった。
そして、夜の闇の中にJALの機体が浮かび上がり、滑走路に降りてきた時、本当に感動したものだった。
我々は久しぶりの再会を喜び合い、そしてJWマリオットへ向かった。重慶大廈と比べれば、すごい落差だ。しかし、ありったけの金を使い妻を歓迎したものだ。
香港最後の日、妻のフライトが午前中で、私は午後の便で上海へ戻った。
妻が去った後、一人マリオットの部屋に残され、窓からビクトリア・ハーバーの対岸に見えるカイタック空港をぼんやり見つめていた。
残される身というのは辛いものだな、と感じたひと時だった。 東京に一人放り出された妻の寂しさが身にしみた。
結婚とともに、働きなれた秩父の銀行を辞め、中野のマンションを借りて引越した。
1991年4月、新婚旅行中にモルジブで上海への語学研修を言い渡された。
私の親友の紹介で、妻は新宿の国際協力事業団に嘱託として勤め始めた。そして7月、私は上海へ渡った。本当に僅かな期間の新婚生活だった。
妻は近所に友達もなく、しかも始めて住む町だった。一人残された寂しさは格別だったろう。罪滅ぼしに私にできることはと言えば、日本から渡ってくる妻を最大限喜ばせることだけだった。
結局、3ヶ月に一回、妻は日本からやってきた。あれは、一つのドラマだった。

1994年、私は大連に赴任した。今度は少し遅れて妻も来た。
そして、大連へ渡る直前、私たちは長男を授かっていた。彼も、生まれてすぐ私たちについて大陸へ渡ったのである。

その頃の大連は、まだまだ日本との差は際立っていた。
私たちはよく、香港へ買出しもかねて飛んできた。当時、コーズウエイベイにあった大丸やそごうで、トランク2つに目一杯食料品を詰め込み帰ったものである。
中国に渡り、私たちの生活はかなり豊かになった。私の昇進もあったが、とにかく物価が安くなった。 この頃から、少しブランド品を妻に買ってやる余裕もできてきた。私たちは上海時代の遅れを取り戻すかのように、海外での生活を楽しんだ。その舞台がまた、香港だった。

2002年3月、私は北京を経て香港へ赴任した。既に中国との国境は第二国境に変わり、イギリスは撤退していた。
私は金融街・セントラルのオフィスに入り、香港で家族と共に新たな時代を歩むことになったのである。
折りしもこの年、私の祖国・日本は時代の大きなうねりに飲まれ、激動の世紀を迎えようとしていた。

は学生時代、貧乏旅行に明け暮れていた。
Gパン・Tシャツにリュックを背負い安宿、ドミトリーを渡り歩いていた。将来どうなるかわからないただの1学生だった。成績も悪く、学校にも通わず、無頼を装い好き放題の毎日を過ごしていた。工事現場や倉庫で働いたりマクドナルドでハンバーガーを焼いたり、スキー場のホテルで皿洗いをやったり、どう見ても将来どうなるかわからない青年だったと思う。 しかし、それでも夢は捨てず、旅の彼方に、常に夢を見てきた。
仕事でも、誰も行かない中国に若いうちから向かい、大連で支店を作り、北京で合弁事業の撤退で中国各地を走り回った。 そして、1994年から続いた長い中国駐在生活の最後に辿り着いたところ、それが香港という町だった。

思い出の町。そして憧れの町。それが私にとっての香港という町だった。
香港はシンガポールと並ぶ、華僑の築いたアジアの宝石と言える町だ。

景の輝きはダイヤの輝きにも似ている。私はこの町にいる間にどのような世界を見るのだろう。
人類の歴史は21世紀へ足を踏み入れていた。 浮揚する中国。衰退する日本とそれを必死で食い止めようとする小泉政権。日増しに第三世界に強硬姿勢を示すブッシュ政権。市場が中国に移り、存在意義の揺らぐ香港。政権の動揺が続くインドネシア。
アジアは、大きな時代の変化の渦中にある。
そして、江沢民、リークアンユー、李登輝、マハティール、金大中等アジアを代表する政治家達が交替の時期を迎えている。
新しいリーダーの登場する時代には、何が起こるのか。
インド・パキスタンの危うい関係、イラク情勢・アフガニスタン問題・パレスチナ情勢を中心に混迷を深める中東・イスラム圏、ミャンマー軍事政権の今後の動向、スリランカ内戦、台湾海峡問題、南北朝鮮問題等々、アジアの抱える数多くの火種。
21世紀はアジアにとり、波乱の世紀となる可能性もある。
日本経済の衰退、アジアの動乱材料を考えれば、日本人にとって21世紀が安泰とはとても考えられない。
私は、香港からしばらくじっくりと日本の今後の進行方向を見定めていくつもりだ。
今、世界を、そして中国大陸を駆け巡った私の人生は、集大成の時期を迎えつつあるのかもしれない。
今までは深く考えることなく、ただ無邪気に夢に向かってきた。しかし家族という集団の経営を行い、この集団の将来への舵をどうとっていくのか、どのように子供たちに将来への道筋を示していくのか、どうやって家族全員を幸せに導くのか、こうしたことを考えると、私も一人の大人として自分の考え方、持論をしっかりと整理するべき時期に来ている、そんな気がする。

ちょっと話がそれた。
香港は周囲を南シナ海に囲まれた自然の宝庫だ。ここでは香港の周囲に残る自然を数回に分け紹介していきたい。

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