西夏王国の遺構輝く寧夏
私は小さい頃から地図が好きだった。
探険記や旅行記を読み漁り、海外とは縁のないその当時の生活環境から何とか飛び立ちたいと思い悩んだものだ。 スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」や、コナンドイルの「失われた世界」、玄奘の「大唐西域記」等、読んだ物語は数知れない。そして、遂に行動を決意させたものは、NHK取材班の出した「シルクロード」であった。
1988年の早春、アルバイトで稼いだ資金を元手に、一人鑑真号に乗り神戸港を後にした。
そして、15年の月日が流れた。
既に、ヘデインの訪れたシルクロード最深部やヒラリー卿の旅したチベット、リビングストンの発見したビクトリア湖から玄奘の旅したインド、その他アジア中近東や欧米で、いつしか30カ国350の町を訪れるに至った。
小さな夢が、ここまで心身を突き動かす原動力となり、花開こうとは思ってもみなかった。
ここでは、その半分を占める中国各地の辺境行を紹介していく。 見て欲しい。私の目にした素晴らしい「世界」を。
中国中部・黄度高原に、寧夏回族自治区という地域がある。
区都・銀川は、北を黄河・賀蘭山脈、南を黄土高原に挟まれ、古くはタングート系の王国・西夏の首府・興慶府の置かれた古都だ。 このタングートという民族の出生は依然明らかでなく、謎に満ちた民族である。
私は1990年代、2度にわたりこの地を訪れた。 特に1997年には、銀川から黄土高原をランドクルーザーで縦断し、西安まで千五百キロを家族と共に走ったことがある。
黄土高原のど真ん中で今日、何が起こっているか、そしてどのような人々が暮らしているのか、イメージできるであろうか?
今回は、この2度目の旅について記してみよう。
銀川は神秘的な町だ。
北の賀蘭山脈と南の黄河に遮断され、古くは人の往来は難しかった。
黄河河畔には、木製のいかだが渡し舟として内蒙古からのトラックを渡していた。
西の土山には万里の長城が、今やただの盛り土のように延々と続いていると言う。 既に風化した長城が、東から西へこの地を横断しているようだ。
銀川から10キロ程北の賀蘭山麓には、西夏の王族の墓が延々と続く。 この風景を目にしてから、私の脳裏に疑問が生じたのである。
西夏の王陵は、見渡す限りのピラミッド群であった。
エジプトのピラミッドのような鋭角ではないが、明らかにピラミッドと見立てられる墓群が続いていた。そしてピラミッドの下には、無数の土器の破片が散乱している。
ふと見渡すと、羊飼いが羊を追っている。どこかで見た風景だ。
そう、中東の大地で会ったベドウィンと同じだ。この地は、中国のように見えない。
国道に出ると、我々は西の青銅峡ダムを目指した。
1991年に訪れた時、この青銅峡への砂漠の中の国道を竜巻が横切っていった。生まれて初めて見る竜巻だった。
それから30分ほど経ったとき、沙漠の彼方に蒸気機関車が現れ、汽笛を鳴らしながら我々の車とすれ違っていった。
青銅峡ダムから船で30分程辿った山中に、ラマ教の寺院がある。 これは、青銅峡地区が歴史上、ラマ教の、すなはち吐蕃やモンゴルの影響下にあったことを物語っている。西夏は14世紀、黄河を渡河したモンゴル軍に攻め滅ぼされる。
仏教とイスラム教の、正にこの辺りは国境だったのであろう。
青銅峡を出た我々は、寧夏の西の要衝・中衛へ向かった。
中衛の北には、内蒙古自治区のテングリ沙漠が目の前までせり出している。砂丘下部を流れる黄河は、対岸まで50mほど。羊の皮で作ったいかだが浮いている。
砂丘の上から見渡す世界は、はるか地平線まで延々と砂の丘が続く大地だ。とにかく、大きな世界が広がっている。
砂漠の無の世界と青い空、そして美しく流れる黄河の流れが心を洗い清めてくれる。
夜、無数の星の下、静寂に吸い込まれるように眠った。
ランドクルーザーと一本の道。それだけが頼りの旅だった。
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