大カルストの彼方に見た世界 〜中越国境
真っ青な空がどこまでも広がっていた。窓の外に見えるボーイングの翼が輝いている。家族が日本に帰国した束の間の旅だった。
目的地は広西壮族自治区の区都南寧だ。
雲南、内蒙古、新疆、吉林、西蔵、様々な地域で国境地帯を見てきた。これら国境は正に文化の交点。それぞれの国の事情が垣間見える。
少数民族が行き来する国境。経済の崩壊したロシアからの自動車の行列。橋のない国境をいかだで越える木材を積んだ北朝鮮国境のトラック隊。山道を歩いて越えるネパール人商社マンたち。国境にはロマンがある。
地図を眺めていると、どうしても私の目は辺境に向かってしまうのだ。
南寧は大きな町だった。
広西壮族自治区の区都。少数民族の自治区であるが故に、如何にも小さい町のように思えてしまうが、実は大都市である。
私は空港出口で、いつもの様に白タクの運転手に取り囲まれた。気の優しそうな運転手を捕まえ、「ベトナム国境まで飛ばしてくれ。」と一言、頼んだ。一瞬、「えっ」という顔をして、「200元だ。」と言う。
「250元出す。安全に飛ばしてくれ。夜までに南寧に戻りたい。」
運転手は喜んで車を取りに走っていった。
いつか、昆明の空港で、「どこか雲南省内ですぐに飛べるところのチケットをくれ。」と言って旅したことがあった。あの時は、運命が私を中国ビルマ国境・瑞麗へ導いてくれた。
あれから4年。再び私は辺境へ向かう。
南寧を出発して町を出た頃、道沿いに桂林のような景色が接近してきた。
「広西には、カルストがあるのだな。」と怪訝に思う。運転手が言うには、桂林から続いていると言う。
私は驚いた。ということは、貴州や武陵原からのカルストがつながっているということではないか。そしてこのカルストは、ベトナム・ハロン湾へつながっているという。
雲南の南にも素晴らしい大地があった。そして、この桂林のような山並みの中には、多数の少数民族が暮らしている。
この国道に出るまでに1週間かかるような山奥にも、人が住んでいるのだそうだ。
3時間ほど山岳地帯の中を走り、峠のようなところに辿り着いた。
中越国境・友誼関だった。
霧の中に霞んで、神秘的な中国風楼閣がそびえている。あたかも幻のようだ。
楼閣に近付くと、建物に小さなクレーターのような穴がいくつも空いていた。
運転手が言った。 「それは、中越戦争の時の戦闘の跡だ。」
なるほど。1980年代、中国はベトナムと地域紛争で戦っていた。
1987年に私が新疆へ入った際には、まだ戦争へ従軍した兵士の歌が流行していた。
3泊4日の列車の中で、誰かがギターを弾いて静かに歌っていたのを聞いた。その舞台がここであった。
楼閣は、上部へ上がれるようになっていた。
そして楼閣上の部屋で私は見た。ケ小平とホーチミンが握手している写真を。
正にここは、中越紛争の前線だったのである。
このカルスト台地を分け入り、彼らは戦ったのであった。恐らくは、中国側の前線司令部が南寧だ。
今は静かに水牛が行き交い、水田が美しいこのカルスト台地も、つい20年前には戦場だった。
調べると、中国の歴代王朝や日本が仏領インドシナへ侵攻した際にも、この道を通ったようだ。
中国とベトナムを結ぶ大動脈。この動脈は、戦時にはその戦いの舞台ともなるのであった。
楼閣の上からベトナム側を眺めた。霧が次第に薄らいで、太陽の光が見え始めた。
ベトナム側からリュックを背負った人影が上ってくるのが見える。アジア系のカップルだ。そして峠まで上りきると、抱き合って喜んでいた。いい光景だ。この峠には私と彼らしかいない。このカップルにとり、この旅は素晴らしい思い出となるはずだ。
その向こうには、フランス風の建物が見える。植民地時代の建物だろう。ここから先には、別の文化の香りが漂っている。
山を降りればドンダン。ベトナム・ランソン省だ。
翌日、南寧から東南に下った。もう一つの国境がそこにはある。
こちらの方は海に近く、平坦な土地だった。
国境の町、東興。
平坦で人の往来が多い。国境貿易でにぎわっている。ふと旅行会社の男に声をかけられた。
「一日ツアーでベトナムへ行かないか?」
「ヴィザないよ。外国人は行けないんじゃないの?」
「大丈夫。任せろ。その代わり200元だ。おれが一緒にアテンドするから。」
本当かな〜、と思いながらも、どうしてもベトナムを見てみたい。
彼のアレンジで国境税関に入っていく。
「しゃべるなよ」と言う。
いざ、入り口でヴィザを見せてもらって驚いた。偽名になっているじゃないか。
「おれに任せろ。」
「本当に大丈夫なのか?」
しかし、すんなり出国できてしまった。ベトナム側はほとんどノーチェックだ。
国境税関を出ると、カロン川上の橋の上にアオザイと三角帽子のベトナム人があちこちに座り込んでいる。かわいらしい人たちだ。
写真をとりながら進んでいくと、破壊されて崩れかけた建物があちこちに見える。無残な戦争の跡を残している。
そのようながれきの中を進むと、原っぱの中の一本道となり、その向こうに町が見えた。
クアンニン省・モンカイの町だった。
そこで私が見た世界は、異文化の世界だった。
アオザイ。漢字のない世界。二人・三人と乗ったオートバイ。かわいらしい笑顔の人々。何故か心が安らぐ町だった。
2時間ほどモンカイの町を歩き、東興へ戻ることにした。
ところがだ。帰りの中国側国境で何と捕まってしまった。
「どこから来た?」
「南寧からだ。」
「違うだろ。中国語の発音が広西ではない。」
「おい、ガイド。話が違うぞ。何とかしろ。」
まいった。2時間絞られ、結局フィルムは没収。罰金200元。
ところが、税関の建物から出る時に、旅行会社の男は税関の人間と別室へ消えた。
「あいつらぐるだったな。まあ200元でベトナムが見れた。十分元はとったわ。」
ポケットの中に、最初に撮ったフィルムがまだ一本残っていた。にやりと笑うと、すぐに待たせていたタクシーに飛び乗り脱出だ。
夜、南寧のマジェスティックホテルのバーで、一人冷たいビールを飲んだ。うまかった。
家族が日本へ帰国した際の束の間の休息。
ロマンあり。スリルあり。大カルスト台地の彼方に見た世界は、私が当時まだ知らないフレッシュな大地であった。
翌日、真っ青な空にキラキラと輝くAIR CHINAの翼が眩しかった。
また一つ、素晴らしい世界をこの目にすることができた。ボーイングは一路、北の空を目指して飛び続けた。
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