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草原の大洋 A

は、すがすがしい風に吹かれながら、草原に沿った国道を走っていた。車は年代物のシボレーだった。古いが、しかしシートは広い。駅前ではジープかソ連製のラダしか見かけなかったが、さすがに中国旅行社ともなると、こんな車も用意している。シボレーは草原の道を快走した。そしてモンゴル人の住居・パオの立ち並ぶドライブインに入った。
ドライブインのパオの裏には、果てしない草洋が広がっていた。ドライブインから200mほど、一人歩いてみた。
遥か先までなだらかな下りが続き、その下に川の流れが美しく光り輝いている。そして、川の向こうはなだらかな上りだった。その先の地平線より草原が波打ち、その波動が近づいてくる。そしてビュウゥゥという風の音と共に、その波が自分の身体を通り過ぎていく。
雲の合間から射す光が、草原を金色の輝きで包む。見渡す限り人の影も形もない。草原に寝転がってみる。時折吹き抜ける風の音以外、何も聞こえない。

「モンゴル族の家が見れないか?」
こんな話を運転手に持ちかけてみた。すると、即座に知り合いの家があるから連れて行ってくれるという。最初の家に向かう。
そこは草原の只中にあった。途中、ところどころに散在する池や湖が太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。まるで絵のような風景だった。訪れた家には若いモンゴル族の夫婦がいた。子供が二人いた。ここはパオではなく、土の壁で覆われた家だった。沢山の逞しい馬がいた。褐色で体つきが隆々としている。中国の華北・東北でも多くの馬を見てきたが、これほど逞しい馬を見たことがない。
子供たちがこの馬で草原を疾走する。見事な走りだ。1日で300km先の親戚の家までいくこともあるそうだ。そして、何とそこはロシアだった。国境は彼らにとって関係ないのである。この馬を駆って走るだけだ。
この家で出されたものは、羊の乳で作ったチョコレートのような菓子とバター茶だった。
腕相撲をしてみた。腕相撲には結構自身があった。日本ではそれ程負けたことがない。過去、海外ではタンザニアで黒人のトラック運転手に、マレーシアで南シナ海の猟師に負けたことがあるが、それ程大負けした記憶はない。しかしこのモンゴルの男は今までの比ではなかった。びくとも動かない。こんな男たちだからこそ、自然を友とし、そしてチンギス・ハーンの時代に世界を席巻できたのかもしれない。

後に訪れたのは、エヴェンキ自治旗という地域であった。
ここでは更に美しい草原が広がっていた。見ているだけで心動かされる素晴らしい草原だ。
私はブリアート族という北方騎馬少数民族の家を訪れた。ここには老夫婦が住んでいた。黒ぶちの眼鏡をかけ、顔に深い皺を刻んだ老人だった。若き頃の正装した写真、馬に載り騎兵の格好をした写真等が飾られている。そして彼は遠い昔、この地域に来た日本人を数多く知っているのだという。
「日本人は勇敢で、熱い心を持っていた。私は知っている。」
「国境線とは、この地に関係のない第三者が勝手に引いた線なのだ。我々には関係ない。」
力強い言葉が心に残る。彼は、その目に何を見てきたのだろう。
この先には中蒙国境、そしてハルハ川とノモン・ハンがある。関東軍とロシア・モンゴル連合軍が激戦を繰り広げた地域である。そして、ハイラルには日本人開拓団がいた。
日本が残したという発電所や橋を通った。昔、多くの日本の同胞が彼の瞳の中を通り過ぎていったのかもしれない。

私が去る時、彼は突然後ろから私を抱きしめた。そして振り返った私の顔を見つめながら言ったのである。
「さようなら」、と。
そこには老人の温かい笑顔と優しい瞳があった。私は強い風に吹かれながら言った。
「日本人に優しくしてくれてありがとう」

車がゆっくりとハイラル駅を出て行く。青い空に、雲の流れが速かった。
私は列車の最後部に乗った。最後の車両のドアは開け放たれたままだった。そこに座り、地平線へと消え行くハイラルの町を見つめた。心なしか、空に老人の顔が浮かび、微笑んで見えた。あれは、この地に散った日本人同胞の幻影であったのかもしれない。北部辺境。日本人に忘れ去られた歴史がここにはある。今日もあの北辺の草洋を、遥かシベリアからの風が、強く威厳を持って吹き抜けている。


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