天上の世界
ラサで知り合った英国人の青年・キースと私は、ネパール国境までランドクルーザーをチャーターし、ネパールのビザ取得や食料買出し等に走っていた。いよいよ天上の国・チベットを横切り、アーリア系民族の生きる天の下の世界へと旅立つ。
■ギャンツェとラサ条約
ランドクルーザーは無人の野を走っていた。 チベット第三の都市・ギャンツェを出ると人の気配が減った。
首府・ラサの盟主はダライ・ラマ、そして第二の都市・シガツェの盟主はチベットNo.2のパンチェン・ラマである。その居城タルシンポ寺を見た。そしてギャンツェには要衝・ギャンツェ城があった。
1903年、英領インド総督・カーゾンはチベット権益の確保を目指し、ヤングハズバンド大佐率いる英軍をインドから北上させた。チベット軍と激戦となったのがこの地である。
そして1904年、チベットは英国とラサ条約を締結する。ラサ条約は日本ではあまり知られていないが、チベットにとっての開国であると同時に、英国を宗主国としてチベットの実質植民地化を認めるものであった。この条約により、チベットはシッキムとの国境を画定させられた。今日、シッキムはインドの保護領として、インドの一部に併合されている。ギャンツェやシッキムの首府・ガントックの通商上の開放、鉄道・通信・鉱山の英国への利権供与等を認めさせられ、チベットにとって屈辱的な内容であった。
その後、チベットは外圧により分裂し、悲劇の国へと変貌していく。その幕開けとなったのが、このラサ条約であった。この趨勢を決めたのが、青蔵高原の要衝・ギャンツェでの戦いだったのである。
日本も黒船来航の時、このような危機に見舞われていたのかもしれない。屈辱的通商条約の次には、植民地化が待っていた。鎖国政策で国際的競争力を失った国が、突如外国の圧倒的な軍事力に晒された時、なす術はない。
チベットの誇りが地に落ちていく歴史を見て、やはり日本の先代たちは奇跡的な対応をしたものだと思う。
チベットではその後、1951年にはイギリスに変わり人民解放軍が進駐し、今の形となっていく。インド領ラダック、シッキムやブータン等チベット圏は、今や英国の流れを汲むインド、中国他に分断されている。
■日本人と似たヒマラヤ南麓の人々
ところで、チベットの分派には日本人に大変よく似ている人々がいる。インド・アッサム北部にダージリンという町がある。アッサムの空港から、1日かけてヒマラヤ南麓に分け入るとこの町がある。町の北には世界第三の名峰・カンチェンジュンガが聳える。この町の郊外の谷間を歩いていて、いつしかシッキム領内へ迷い込んだことがあった。シッキムの民は日本人によく似ていた。日本人の起源には諸説あり、北方騎馬民族や朝鮮半島からの渡来説もあるが、シッキムの人々は最も日本人に近い人々だと思っている。山国。発酵食物。表情から性格までよく似ている。私が旅した時、何故か皆が大変歓迎してくれた。家に招かれても全く違和感はなく、日本の田舎を旅しているようだった。
この谷の一角には、チベット難民キャンプも存在していた。国連やインド政府の補助で運営されているようだ。キャンプを訪問した際に、若い母親は言った。
「私はこのキャンプで生まれ育った。祖国の地を見たことはない。そして祖国を見ることなく、この谷で生涯を終えるのかもしれない」
日本人にそっくりの人々と、この難民キャンプを見比べると、どうしてもチベットのことが人ごとのようには思えない。
さて、ギャンツェを過ぎると、荒涼とした青蔵高原をひたすらに走る道となる。ラズー当たりでは吐蕃帝国時代の遺構・城壁が点在する。また、天上の川・ヤルツァンポの厳かな流れを見ながら、道は進む。私はテングリ(定日)という集落で宿泊した。
1987年の当時、ホテルはなく、人民解放軍が経営する旅社で一晩を過ごした。1泊10元。部屋には硬い野戦病院のようなベッドが一つあるだけだ。夕刻近所の集落の子供たちが遊びに来た。コーラの空き缶をあげると真っ黒にすすけた顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。こんなことでも辺境の子供たちは喜んでくれる。平均寿命が40歳後半〜50代前半と言われるこの地では、人生は短い。人々は短い人生を自然と共に歩み、駆け抜けていく。自然の中で生まれ、そして自然の中へ帰っていくのである。
■クライマックス
ランドクルーザーの周囲は、無人・無音の世界と化していた。広大なヒマラヤ山脈が遠くに見える。何という神秘の世界であろう。そしてランドクルーザーの運転手が突然車を止めた。ラサからランドクルーザーに同乗したキースが私の横でつぶやいた。
「エベレスト!」
遥かに広がる高原の彼方に、大きな山群が見えていた。その山塊のトップが世界の頂点であった。
エベレスト〜ヒラリーとテンジン・ノルゲが制した世界の頂点。この山に、どれだけの思いを馳せたことか。シルクロードから、私は無数の山々を越えてきた。今立っているところが5,000m付近であることは間違いない。今、身体に異変はない。軽い頭痛を感じるだけだ。高度順化にも成功したようだ。
シルクロード以降、次々に私の目の前に夢が現実となって現れていった。そして今、私が目にしているものは世界の最 高峰であった。エベレストの方角から冷たい風が吹いてくる。音のない世界に風の音が伝わる。エベレストの風だ。澄み切っている。そして足元に目を落とすと、心なしか私の影が非常に濃く見えた。太陽が近いからなのか?森林限界を越えて遮るものは何もない。強い紫外線を浴びていることは確かなようだ。
地図を眺めるだけでは知り得なかった、エベレストとその周囲の世界。チベットの人々の短い人生と五体投地。誇り高きチベット帝国の隆盛と崩壊。そして始まったダライ・ラマの放浪。この神秘の地を切り開いた英国人たちの勇気。様々な光景が頭の中をよぎる。
神とは、ただ待っていれば助けに来てくれるものではない。自らの意思で困難を乗り越えて、初めて見えるもの。そして初めて身体に宿るもの。そう思えてならない。この時、私の視線の彼方で、エベレストは神々の宿る城のように、堂々と光り輝いていた。
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