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怒江(サルウィン川)源流の旅

麗からビルマ国境を雲南中部・保山まで行くルートは、辺境未開放地域として外国人の入域を原則禁じる地域であった。このルートの中部には、原生植物が数多く生息する高黎貢山を中心に、文明社会が未だ手をつけていない東チベットに続く山塊が聳え、中国とビルマの北部国境地帯を形成している。
私は、辺境未開放地域であるということを知らずに、朝4時、瑞麗のバスターミナルから中国製の旧式長距離バスに乗り込んだ。
バスは瑞麗を出るとすぐ、山岳地帯に入る。軍用道路なのだろうか。未舗装の土の道をバスは飛び跳ねながら進んでいく。バスの床や窓は壊れており、土ぼこりがひどく息をするのも苦しいほどだ。そして、未明の山間部の空気は冷たい。
薄明るくなってきた頃、梁河という村落に着いた。
明け方のバザーには、鮮やかな民族衣装を着た少数民族で賑わっていた。実に様々な種類の少数民族がいる。
1元で食べたうどんは、単に素味の麺に唐辛子を入れただけのものであるが、冷え切った身体には実にうまく感じられた。無公害の完全なる自然の味だ。
そこから更に50キロほど行くと、騰冲という町に着く。そこがその日のバスの終点だった。
この村落では困ったことが起きた。言葉が、つまり中国語(マンダリン)が全く通じない。何語だろうか。ビルマ語なのだろうか。とにかく何も通じない。紙に漢字を書いても通じなかった。そして、ホテルは外国人宿泊禁止となっているではないか。
言葉が通じない。ホテルにも泊まれない。店がない。これには困った。
バスは1日1便。今日はもう便はない。この村落で何件もないホテルを回ったが、どこも首を振られるばかり。最後に村からはずれた道の脇にある旅社を覗いた。恐らくビルマ人だろう。言葉が全く通じないが、何とか泊めてもらうことができた。夜、空には溢れんばかりの星が見えていた。

日は、朝から昨日バスをおりた地点で、ただひたすらバスが来るのを待った。ここは陸の孤島だ。身動きがとれない。 やっと昼前に保山行きのバスが来て、これに飛び乗った。脱出だ。そしてまた保山までは大山岳地帯を行く旅だ。やがて目の前に接近した山脈が高黎貢山だ。この山を境に東に怒江(サルウイン川)、西はビルマ領に入りイラワジ川の源流が流れる。特に怒江サイドは高黎貢山から急峻な切込みがあり、大急流となって雲南南部を縦断し、一気にビルマへと流れ込んでいく。この2大河川は、東チベットを源流にビルマで豊かな土壌を作り出し、アジアを代表する米作地帯を潤しているのである。ヒマラヤ山脈がなければこのような豊かな土壌はなく、イラワジデルタ、メコンデルタのように多くの人々を育む環境はないのである。そしてこの私の目の前を流れる怒江は、正に水が怒り狂ったかのように激流となって、ヒマラヤから一気にビルマの平原へと水を送っている。この環境を見れば、怒江上流・高黎貢山北部には人跡未踏の地があるのも頷ける。最近ではバイオテクノロジーの技術が高度化しているが、植物の品種改良等を行う際には、やはり原種が必要なようだ。この貴重な原種が豊富に分布する高黎貢山は今日、バイオテクノロジー技術者の垂涎の的で、多くの技術者が雲南にこの山でとれる原種を買い付けにくるそうである。そしてまた周囲を見渡す時、このような山岳地帯であれば、フィリピンで小野田少尉が発見されたように、ビルマ戦線の生き残りの日本人が少数民族と暮らしたり、一人野生の生活を送っていても誰にもわからないと思える。

翌日、保山郊外の尼寺を見に行った時、尼さんたちに精進料理をご馳走になった。言葉もろくに通じない中、この上なく温かく、孫でも来たかのように優しくもてなしてくれた。その時、私は聞いたのである。
「はし」、「れんげ」、「はす」、「みず」、「はな」等の日本語を。
誰から教わったのであろうか。そして彼女たちのその目に何を見てきたのか。尼さんたちは、ニコニコ笑うばかりであった。
ビルマ戦線。国境のビルマ人やインド人たちから聞いた日本人と雲南の歴史。少数民族と結婚した日本人の話。そして雲南山中の尼寺で聞いた日本語。失われ語り継がれることのなかった歴史が、私の頭の中でつながった。
怒江の激流のような激動の世紀に翻弄された日本人たち。そしてそれを見つめてきた辺境の民。忘れ去られた日本人の歴史を、この地で感じることができた。

翌々日、私は観光都市・大理に出て、久しぶりにくつろいでいた。蒼山連峰と?海、そして雲南を代表する白族の美しい衣装を見て、柔らかなベッドに眠ることができた。騰冲ルートで土ぼこりだらけとなり、シャワーも浴びていなかった。大理は実に快適で美しい町だ。三塔寺と蒼山を見ているとほっとする。
雲南最深部でまた一つ心に残る経験をすることができた。
世界30の国々を旅して改めて思う。中国辺境の旅とは、時に自分が日本人であることを見つめ直す旅になると。


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