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 イサ−ン(タイ)
     〜心温まる微笑の大地(タイ東北部)

「微笑の国」で知られる心温まる国・タイ。
私はこの国に魅せられ8回で東北部、北部、中部、南部など22の町を巡りました。
歴史、自然、文化など様様な面で素晴らしい魅力を惜しみなく見せてくれるインドシナの楽園・タイ。
その魅力の源泉とも言える人々の温かい心の源は、最貧地帯であるタイ東北部・イサ−ンにあります。
赤土の大地、貧しくも明るく微笑みを絶やさぬ人々、その北辺を流れるインドシナの大河・メコン。ここに来ると、何故か心が和みます。私の愛して止まない土地・それがここ、イサ−ンなのです。

職して3年目、同僚など若者3人で旅した土地。
学生気分が抜けないなどと細かいことで上司に叱られ、'なんて社会ってうるさいんだろう'と嫌気がさしてきた頃、全てを放り出して東京を飛び出し私はこのイサ−ンを旅しました。温かく、心休まる旅でした。

ノ−ンカイから見るメコン。対岸はラオス。

バンコク・ホアランポーン駅を出た夜行列車は翌朝、最果ての町・ノ−ンカイに着く。

昨日、うるさい東京を飛び出しバンコクですぐ夜行列車に乗った。そして今、最果ての駅に列車が辿りつこうとしている。
列車を降りると新鮮な辺境の空気が私を包む。'イヤッホー'リュックを思いっきり大空に投げ上げた。久しぶりの自由だ。夜行列車での寝不足などどこかへ消し飛んでしまう。喜びで身体中が満たされる。これから始まる自由な旅に胸が膨らむ。

サコンナコーンのバスターミナルで

バイクの音が道路に響く。

前方に学校がある。校門の付近に女子高生だろうか、制服を着た女子学生が沢山たむろしている。一人がこっちを指差して何か叫ぶとみんなが一斉に手を振り始めた。ぼくらは手を振りながらその前を通りすぎた。何だか知らないけどヒーローになってしまった。ヘルメットもなく、リュックを後に括り付けてのツーリング。TシャツGパンで開放感この上ない旅だ。

突然前方の草原の先に大きな川が現れた。対岸にはジャングルがせり出し川の色は自然美溢れる濁流だ。'わあっメコンだ!'我々は河畔にバイクを止め川べりに立った。素晴らしい川だった。対岸はラオスだった。初めて目にするインドシナの大河・メコン。源流ははるか上流、あの苦しい旅を強いられたチベットだ。


サコンナコーンのラオス式仏教寺院
我々の行きついた先はシーチェンマイ、ラオスの首都・ビエンチャンの対岸だった。
河畔に座りタイの名酒・メコンに氷をぶち込んで飲む。暑さの中、最高にうまい。対岸を見つめる。旧式のトラックが一台走っていく。その後はひっそりとした静けさに包まれた。目の前にありながらこの川を境に体制が異なる国。近くて遠い国。国境線を境に別の世界が広がるのだ。すぐ隣の寺院から僧侶達が袈裟を着て出てきた。温かい笑顔で迎えてくれる。思い返せばこの時、既に私の頭の中から日本での日常は完全に消え去っていた。次々と展開する新しい世界に引き込まれて私は目を輝かせていたのである。
イサ−ンの町・サコンナコーンで私は雨上がりの水溜りを目にして思わず唸っていた。水溜りが真っ赤だ。つまり土が赤いのである。これがイサ−ン貧困の原因なのだろう。養分のない赤土の大地。同じような汚染のない自然に包まれた大河・アムールが中国・ロシア国境にある。あのアムール川の流域は黒土の大地だ。中国側ではあの川を黒龍江という。黒い龍のような大河なのだ。しかしメコンはその美しい流れと裏腹にこの土地の養分を流し去ってしまったかのようだ。それはあたかも地球が流す血のように見える。しかしそんな不運など気にもしないで赤土の大地を耕す農民がいた。自然は人々の運命にも大きな影響を与える。

サコンナコーンにはラオス文化の影響があちこちに見られる。タイ南部はビルマの影響が強く大きなパゴダが多いがこの地方ではラオス式の細く高いパゴダが支配的だ。しーんと静まり返った寺院は神秘的で辺境寺院そのものだ。銀行員になってこんな旅してる奴はあんまりいないだろうな。真面目に働くモラルは勿論必要だ。でも何にでも古い枠を無理やり当てはめようとするやり方には耐えられない。世界はどんどん変化しているのだ。物事の本質さえ見失わなければ枠は変幻自在であっていいはずだ。かつて明治時代の日本はそうだったからこそ目覚しい発展を遂げたのではなかったか。いろんな事をダメダメ言っていては世界の進化に取り残されてしまう。核心の精神は日本人。枠は変幻自在で型破り。いいものはどんどん吸収する。そんな人間を目指したい。それが本当のバランスというものではないだろうか。日本を引っ張る中間世代が保守という楽な台座にあぐらをかいていると、気が付いたときには日本は世界に取り残されていることになるかもしれない。時代の流れに取り残されずに日本を引っ張っていく、それが我々世代が社会でするべき義務だ。日本を平和で豊かな国であり続けさせる、それが我々若い船頭がとるべき方向であり、そのためには目の前に現れる新しい事象全てに興味を持ち舵の幅を広げなければ方向を見誤る。旅は人間の幅を広げる最高の手段なのだ。
などと自分に都合の良い事を考えながら旅を正当化したりして。。辺境寺院で身体中に力がみなぎり元気が回復していくのを実感した。
翌日サコンナコーンを発った。イサ−ン。この時期社会に出て悩んでいたからだろうか、人々の優しさが心に染みた。

ベトナム戦争の時、タイ最大の米軍基地のあったウドーン。この町はイサ−ン最大の町だ。ここまでくるとイサ−ンの人々も垢抜けている。街角で不良少年たちに絡まれた。何やらタイ語でいちゃもんつけてくる。頭に来たが一々まともに受けていると面倒なことになるので頭を振りながら私何もわかりませーんと両手を上げて見せた。何度かやっているうちに向こうもゲラゲラ笑い出して結局あきらめて行ってしまった。一々怒らずに相手をはぐらかす。'おれもたぬき親父に片足突っ込んだな'アメフトで鍛えた身体だ。喧嘩したって自信はある。でも一々雌雄を決しても後味が悪い。必要なときには誇りを守る。守っても意味が無いときはごまかす。少し大人になったな、と思う反面また一歩ずるくなったな、と少し日本を思い出した。
リュックを背にウドーンを発った。また色々な物を見、色々な経験をすることができた。日本に帰ってもまたしばらく耐えられるだろう。次はどこへ行けるのだろう。楽しみだ。


ライン

マレー東岸〜南国の楽園

レーシアは近年、マハテイ−ル首相の下、目覚しい経済発展を遂げました。昔ながらのゆったりとした時間の流れは失われつつありますが、それでも東マレー一帯にはまだまだ静かで美しい自然が残されています。私は3度に渡るマレーシアの旅でマレーシアの自然を満喫しました。ここでは東マレーの自然をご紹介します。 


東マレーの漁港で


コタバル海岸

 タイ南部の熱帯雨林を抜けた辺境列車は最後の駅・スンガイコーロクに着いた。国境税関にはバイクのタクシーが多数待機している。私はアーミーバッグを担ぐとコタバル行きのバス停に連れて行く様頼んだ。途中マレーの税関でスタンプを押してもらうと簡単に国境を越えた。

 前方に砂浜が広がった。コタバル海岸だ。ここは昔日本軍がシンガポールを攻めた際、自転車でマレーの密林を抜けシンガポールを背後から急襲した、いわゆる銀輪舞台が上陸した海岸だ。ある朝起きて、この浜に軍艦がひしめいているのを見た時、この地の民はどんな思いでそれを見つめたのだろう。静かで長閑な浜辺が広がっている。マレー語でパンタイ・チンタ・べラヒ。情熱の愛の浜辺という。寝るだけのコテージを借りて一人浜辺にひっくり返った。本当に長閑だ。こんな気分は久しぶりだ。

 夜漁民がギターを弾いていた。飛び入りで話をする。腕自慢の漁民が腕相撲を挑んできた。おれだって日本じゃ殆ど負けた事が無いんだぞ。しかし長い均衡の末、負けた。持久力が違う。さすがは海という自然を毎日相手してるだけの事はある。暗いビーチに波の音だけが聞こえていた。

 クアンタン沖に浮かぶ小さな島・カパス島。粗末なコテージにアーミーバッグを投げ込むと私は一人島を探検した。シュノーケリングの道具を着け海を泳ぐ。さんごや熱帯魚がきれいだ。ビーチで椰子の実や貝殻を拾った。後で割って飲んでやるんだ。ここでは全ての自然がみんな俺一人のものだ。

 クアンタン川の岸辺のビアガーデンで一人ビールを飲んだ。ジャングルが川にせり出し対岸が神秘的に見える。今日の宿は華僑のやっている汚い宿屋だ。やもりがいた。あっという間に一週間が過ぎた。クアンタン川と夕日のコントラストが美しい。学生と社会人のギャップに悩んだこの頃。クアンタン川のほとりで一人思い悩む自分がいた。YESMANで社会で生きていくのが良いのか、それとも自分の思い通りに社会を飛び出して自由に生きていくのが良いのか、思い悩んだ末、中道を選んだ記念すべき旅だった。二兎を追うもの一兎も得ずと言う。しかし頑張って仕事も旅も、二兎を得てやる。そう東マレーに落ち行く夕日に誓った。

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